ずんこぶろぐ

『持続可能なプロデューサー活動で、アイドルマスターを通じて人生を豊かにする』をテーマに色々書いてます。 twitter: http://twitter.com/ohtsuki_zunko

#語り継ぐコロナ あれから3年、アイマスライブは声出しを解禁し、コロナは5類となった(新型コロナの情報を求め、2020年に遡ってきたお前へ)

imas.hatenadiary.jp

この記事を書いてからもうすぐ2年が経過しようとしている。

今は2023年5月8日。

アイマスライブは喜ばしいことに先日のMOIW2023を皮切りに声出しライブが解禁された。

2020年1月30日に世界保健機関(WHO)が、新型コロナウイルス感染症について、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を宣言してから早いもので3年以上が経過した。

2023年5月5日、WHOが新型コロナウィルス感染症についての緊急事態宣言を終了した。(ただし終息はしていないことには留意すべきだ) 

そして今日、日本政府は新型コロナウィルス感染症を5類感染症に引き下げた。

www3.nhk.or.jp

世間ではすっかり新型コロナウイルスについての感染対策は日常となった。

人々はいつも以上に手を洗い、マスクをして、過度の接触を避けてきた。

mRNAワクチンという人類の叡智を集めたワクチンは、文字通り人類を救った。

あれから3年。抑圧されていた社会生活はすっかり元に戻った。電車内でマスクをしなくなる人は少しずつ増えていき、それに対して白い目で見る人は今ではほとんどいなくなった。

イベント事も通常通りに行われるようになった。プロスポーツイベントにも応援の歓声が戻った。そして、ライブイベントも声出しを解禁していった。

……少なくとも、自分の目線から見える『今』の世間はこんな感じである。

冒頭に貼った記事は、2020年の新型コロナウイルスパンデミックの影響を受け、中止となったミリ7thと、それを翌年にやり直した一連の経緯についての感想ではある。新型コロナウイルスにより趣味を抑圧され、混乱に翻弄された自分と、その周囲の情勢について、当時の記憶が強く残っているうちに書いたものだ。

この記事にはかなりの反響があった。反響として多かったのは、社会情勢に潰されていくミクロの1人の目線が克明に記録されている、という点だ。

社会の混乱に巻き込まれて、趣味を抑圧されていった1人の人間に起こったこと、その感情、心身の不調。

「人命が第一、そんなことはわかっている。でも」というやりきれない感情。蝕まれていく精神。人間そのものに対する不信感。そういったことが、自分で言うのもなんだが今読み返してもかなり赤裸々に書かれていると感じる。

 

実は、この記事を書いた意図は別にある。

読む人によっては共感できるような内容ではあるかもしれないが、一方であまりに身勝手なように感じたり、あるいは不快な思いにさせる可能性がある。

なので、小出しにしつつも本心は伏せていた。

しかしそろそろ世に出してもいいだろう。「世間がコロナ禍を抜け出した時に出そう」と思い2年ほど頭の中で温めていたことをここに書いた。あまり整理はしていない。

 

 

あの記事は、10年以上後の未来から掘り起こされることを目的としていた

あの記事は、ライブレポとして書いたものではない。もっと別の目的をはっきりと持って書いた。更に言うと、アイマスPに向けて書いたつもりもない。

10年後、あるいは20年後、それかもっと先の未来で、感染症や戦争、災害のような国家的危機に面した時に、過去の人は社会混乱にすり潰されていく中どのような思いでいたか、を自分の目線に絞って記録した文書として残した。

公的機関の文書や、医療従事者の呼びかけや現場での混乱、あるいは感染症に罹った人間の体験談などといった記録に残りやすいものとは違った、ただの一市民の心境の変化や心身の異常などをなるべくホットなうちに記録しておこうと思ったものだ。

結末を知っている今になって書いても意味がない

我々が知っている新型コロナウィルスとの戦いについての、日本国内での結末はこうだ。

「2020年に流行りはじめた新型コロナウィルス感染症は、様々な社会混乱を引き起こしながらも2020年11月にmRNAワクチンが開発され、行き渡っていった。抑圧された社会は2023年の春頃から解除に向かっていき、ようやく5月で一旦終わり(終わりとは言っていない)になった」

今、この結末を知っている状態で当時どうだったかを残すのは無理だろう。かなり冷静で、落ち着いた、緊迫感の伝わらない文章になる。「今振り返れば大したことない」で済むかもしれないが、当時は「このような抑圧された生活が一生続くかもしれない」という覚悟を迫られていた。

だからこそ、あの記事はミリ7thが終わってすぐに書いた。

全てが落ち着いた後では、嫌だったことはすべて忘れてしまい、あらゆる話は美談にされる。

だからこそ、それを早いうちに残すことにした。

自分はまだ社会と他人に対する不信感を持ち続けている

語弊が生じるので予め断っておく。ここで明示している『社会』『他人』はかなり大きく、曖昧な枠組みだ。

人々全体をゆるやかに括った群体により形成される、世論だとか、そういった「マクロの意思」みたいなものだと思って欲しい。

つまり、自分の周りで普段接する人や、友人、家族、恋人のような個人に対しては全くそういった感情は持っていないし、救急の現場で身を削る医療従事者や、警察、自衛隊、準軍事組織のようなファーストレスポンダーやエッセンシャルワーカーに対しては敬意を常に抱いている。

その上で書くが、自分は前述の記事中に書いた、他人から言われた諸々の言動や、市中で見た光景がきっかけで、まだ社会や人々に対する不信感を持ち続けている。これはおそらく一生消えないだろう。コロナ禍はそれほどの変化を自分にもたらした。他人への不信感、これも多分コロナの後遺症の1つなのだろう。

後世では新型コロナウイルスに伴う社会混乱について、恐らくは

「みんなが積極的にマスクをし、みんなで我慢しあって、ワクチンが開発されるまで耐え忍んだ」という語られ方をすると思う。自分目線ではそうは見えなかった。

自分の目線では

「たしかにみんな積極的にマスクをし、世界でも類を見ない速さでワクチン接種を積極的に受けてきたが、裏では常に誰かが誰かをいがみ合い、スケープゴートを探しては叩いて回っていた」
だった。

10年以上先の未来で発生した社会混乱からこの記事を漁ったお前へ

自分の見ている限り、新型コロナウィルス感染症にまつわる一連の社会混乱において発生した、あらゆるライブイベントやエンタメイベントの中止や制約や、その犠牲に対して、感謝の気持ちを示した人は最後までいなかった。一方で、混乱の過程ですり潰されていくエッセンシャルワーカーを見ても「嫌なら辞めれば?」という感じで、誰も何も言わなかった。

とにかく、あの3年間は感染症の恐怖云々もあるが、それよりも、とにかくあらゆる世代、属性の違う人々が分断され、お互いにいがみ合うようになってしまった。

「人は協力できない」ことを象徴する1枚。当時Twitterで見た。
画像の出処とか、意図とか、そういったものについてどう感じるかはその立場によると思うので詳細はご自身で調べてください。

人は自分の関心の無いこととに対しては驚くほど共感と協力を示さないもので、無理もない話かもしれない。あるいは、皆自分のことで必死でそれどころではなかった、と言ってもいいのかもしれない。

繰り返し述べるが、何よりもやはり人命が第一だったし、今振り返れば、あのときに色々なライブが中止になってしまったことは、致し方なかったと思う。そして、それについて、社会の混乱についていけず体調を崩してしまった自分は、未熟だったのだと思う。

将来の社会的混乱に面して、「そういえば2020年ごろの新型コロナウィルス騒ぎではどうなっていたのだろう?」と気になって調べて、ここに行き着いた人へ。

コロナ禍が一旦の終息(終息とは言っていない)を見せた中、自分が今願うことはただ1つだ。

 

はるか先の未来で、社会が何らかの危機に面している時、誰かがこの文章を掘り起こしていて欲しい。

その時には、エンタメを虐げる行為に及ぶような人が、1人でも減っていて欲しい。

社会混乱下でもライブをさせろ、という意味ではない。間違いなく人命は大事だからだ。

哀れんでくれという意味でも感謝しろという意味でもない。せめて無関心でいてほしい。

社会混乱が発生した時に、どこかにスケープゴートを求めるようなことにはならないで欲しいということだ。

そして、社会混乱の犠牲になったイベントやエンタメには、その裏でそれをモチベーションにして日々を頑張ってきた人たちがいるということも、そして、その人は隣にいるかもしれない、ということをどうか頭の隅に置いて欲しい。

 

ところで、2023年のROCK IN JAPAN FESTIVALは、茨城ではなく今年も千葉で開催される。

もしも、来年のロッキンも千葉で開催されたとしたら、憶測ではあるが、それはエンタメ側から『世間』に対する意趣返しの1つだと自分はその時思うだろう。

 

※「5類以降」の新型コロナウィルスの性質や保健当局の体制については、以下の忽那賢志氏の記事が非常にわかりやすい。フォロワー・読者各位はぜひ一読願いたい。

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